定年間近の50代が人生で一番辛かったのはパナソニックからのリストラ

40代を超えてからのリストラは、正直厳しかったですね。

僕自身、プロジェクトを成功させたり実績を積んできたもんだから、「これほどの実力があれば、企業から引く手あまた」だって考えていた。しかし実際は、40歳を超えているだけで「お見送りリストやメール」に入れられてしまう現実が待っていましたね。

大手企業をリストラされた役職者も厳しい戦いを強いられたようです。

マジか?定年を間近に控えた50代がまさかのリストラ

68歳男、65歳で第2の職場を定年退職しました。

パナソニックで技術職を長く担当し、比較的早期に課長職となり技術マネジメントを担当していました。しかし、携帯電話業界がスマホへの移行で変調をきたし、会社の業績は急激に悪化。

そんな中で、早期退職での人員削減が進められまさかと思っていたリストラに会ってしまいました。リストラ自身も辛いもので、何で俺がという想いで頭が真っ白になる程のショックを受けましたね。

ちょうど定年退職まで4年を残した56歳の事でした。

しかし何より一番辛かったのは、そのリストラを告げてきたのが、私と部長職への椅子を競い合って先んじられた部長から告げられた事。

その部長は、多くの部下から嫌われていたものの上に対するおべっか等が上手。何の実績もないのに、私を差し置いて部長職に昇進した人でした。部下達からの信頼は、課長同士として張り合っていた時から、圧倒的に私の方が強かったのですが…。

それは私が技術者として、マネージャーとして会社の経営に多大な貢献をして来た実績と、上に対しても言うべき事はしっかりと言うスタンスと、部下育成に熱心であったからです。

リストラされた痛みより収入が減る切実な現実が辛い

先に記載した様に、最初はなぜ俺がと言う想いで頭が真っ白になり、何かで頭を強烈に叩かれたように、目から火が飛び出るほどのショックを受けました。

告げられたショックから少し時間が経過すると、会社とリストラを告げて私を追い落とした部長職の奴に、はらわたが煮えくり返る程の激しい憎しみを感じました。

それでも、そこまで言われて残して欲しいと懇願する事はプライドが許さず辞めてやるとすぐに腹をくくりました。

しかし、さらに時間が経過すると少しばかりの退職金が上乗せされても、定年退職まで勤め上げるよりも総収入は減少は確実。まだ下の娘が大学生で収入確保のために再就職が必要だった切実な課題を強く感じ始め、再びどうしようと自分でも信じられないほど気持ちが狼狽えました。

ショックから怒り、そして切実な悩みへと痛みは変化して行きました。時間の経過と共に、ショックと怒りは消え切実な課題で頭がいっぱいでした。

切実な現実のほうが、ショックや怒りよりも大きい痛みだったのです。

なぜ俺がという想いでリストラに会った人の多くは、こうした心の痛みの変遷を経験しているのではないでしょうか?

しかし、そこからどう行動するかは人様々で、その行動と考え方で結果は大きく違ってきます。

50代後半での再就職は想像以上に過酷で絶望した

とにかく、切実な傷みの再就職で収入を確保する事を真剣に考えました。再就職するに当たって心に決めていたのは、大手の電子部品メーカーでの役付等のプライドは捨て、新たな職場に心は新人として馴染む事を旨として取り組むべき事でした。

もう一つは、元の会社で定年退職まで勤め上げても60歳までであり、再就職先では当然年収は当然大幅ダウンするけれど、定年退職が65歳以上である会社を見つけて再就職しようと考えました。

私は、リストラに会ったショック・怒り・再就職への焦りを超越し、素直な心で再就職活動に向き会おうと考え行動しました。

それでも、簡単には見つけることはできませんでしたが、元の会社で原材料を仕入れていた会社で付き合いのあった技術マネージャーが、ある会社を紹介してくれ、その会社に再就職する事が出来ました。

元の会社の部下達が、私の事を気遣って、その人にそれとなしに話してくれていたようです。そうした事が耳に入るにしたがって、自分のスタンスが間違っていなかった気持ちを強く持てるようになり、次第に痛みは癒されて行きました。

もちろん新しい会社では、私が再就職活動に取り組むに当たって心に決めた、素直に偉ぶる事無く新たな会社に新人の気持ちで働こうと言う考え方が、その紹介してもらった会社に評価してもらえた事が、採用された決め手となったのです。

ピンチに遭遇して、暫くしてショック・怒りを乗り越え、とにかく真摯に再就職と向き合った事が奏功したと言えますね。

元部下たちの尽力で再就職でき67歳まで勤め上げた

再就職ができ心の痛みは一気に和らぎました。しかし、同じ技術部門の仕事とは言え、新たな会社での仕事のルールや習慣をまず身に付け、その上で会社に徐々に変革をもたらせ、自分を拾ってくれた会社に貢献する事を考えると、痛みが和らいだものの新たな緊張感を感じる日々でした。

ここでも、まずその会社に馴染み、その上で元の会社で体得したマネジメントのスタイルを徐々に経営トップに具申して、経営成果に結びつけるように働きました。

元々再就職した時に、小さな会社なので定年退職は65歳と決まっているものの、元気で頑張ってもらえるなら定年延長も考えると言われ、着実な成果を上げつつ少しでもその貢献度を評価してもらえるように努力を続けました。

こうしたお蔭で、結局67歳までその会社に勤めることができ、惜しまれつつも後輩を育てる事ができてその年齢で身を引きました。

私がこうした経過を辿っている中、元の会社で私をリストラで追い落とした部長は、私が辞めた翌年に新たに就任した技術重役からクビを言い渡され、会社を去ったと聞きました。

その部長の送別会には、部下は数えるほどしか参加せず、寂しい送別会だったとも聞いています。

私の送別会には、歴代の課長の中では信じられないほど多くの部署から参加者があった事と対比すると、心のどこかに残っていた怒りも無くなり、その部長を哀れだと思えるほどの気持ちになっていました。

リストラされたことは辛く厳しい出来事でしたが、会社生活での幸せとは何かを考えさせられるいい機会だったのかもしれませんね。

パナソニックからリストラされた定年間近50代まとめ

最後に要点を纏めておきますので参考にしてください。

  • パナソニックからリストラされる
  • ライバル関係にあった同僚から言い渡されて更に腹が立った
  • 年収が激減した事実と再就職しなければならない切実な思い
  • 元部下たちが水面下で再就職先を探してくれていた
  • 再就職先で67歳まで勤務でき幸せなサラリーマン人生を終えた

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