朗報!職場イジメの回避方法を異動して逃げた私がみっちり指南します

バックにお偉いさんがついてるからって、威張り散らしている同僚ってウザいですよね?

どこの職場に行っても、ひとりはいるんだよ。「俺は部長の配下だ」「俺には事業部長がついている」って、お前はスネ夫か?と言いたいのはやまやまだが、こちらは大人でござる。

拙者は何で仕事も出来ないのにそこまで威張れるのか、理解に苦しむでござるが。

ある日出向先から戻ってきた年下の上司にイジメられる

現在、62才の男性、財団法人のパート職員をやっております。

私は、職場のいじめ一番辛かったかなぁ。2009年1月のことです。当時、私は企画部に所属し新年の全社キックオフミーティングの準備作業、事業部長会議の議事進行、社内報の発行準備と忙しく成人式の祭日を含む3連休の期間も自宅にノートPCを持ち帰り、会議資料の作成をしていました。

普段は自宅に仕事を持ち込むことなないんですが、それほど忙しかったってことです。そのようなタイミングで新しい企画部長が着任しました。

前年まで出向先にいたのですが、3年の喪が明け戻ってきたのです。

彼は出向前、経理部門に所属しており、年齢は私より10才若くその職位は私より一つ下でした。

経理部門の長は役員が兼任しており、管理部門を統括していました。腰の低いソフトな人間で面と向かってきつい言葉は使いませんが、力仕事や汚れ仕事は年下の彼に任せ、自分は手を汚さず会社からの信任も厚かったようです。

彼が傍若無人な態度を取っても、バックにその役員がいるため誰もが我慢している状態。幸い部署が違うため、私は特に被害を被ることはありませんでした。

でも、出向先でお務めを果たしたご褒美として、彼が企画部の責任者となって凱旋し事情が一変。

1月の、その年の業務目標を決め数値化しコミットする会議の場のこと。事前に彼とは打ち合わせており、その内容に従い計画を立案したのですが、その席上では態度が変わりどうして独自の発想がないのか?誰かの二番煎じでないのか?よくこんな資料を作ったとなじられてしまいました。

前部長とはコミュニケーションもよく、仕事もうまくいっており自身の能力にも自負があったのですが突然、このような罵声とも思える言葉がでて驚き以外の何物でもありません。

10歳も年の離れた人間から放たれた言葉に、理解に苦しんだのが正直な気持でしたね。

パワハラを受けるも誰も助けれくれず統合失調症となる

以来、事あるごとにいつ辞めるの?この齢まで何をしていたの?と理不尽な言葉に、私はダメージを受け続けました。職場の仲間は見て見ぬふり、孤立化が進んでいくのが分かります。

そんな状態が1か月続いたころ、寝汗をかき眠りが浅くなるのが分かりました。疲れが翌朝に持ち越され、食欲も落ちあれほど好きだったジョギングもさぼりがちとなり体調が確実に悪くなっていくのでした。

体は疲れているのですが眠れない、眠れたとしてもすぐ目が覚めてしまう辛い日々。

企画部長の彼とはうまく意思疎通ができず仕事の能率も落ち、しんどい残業の毎日となりました。

思い余って会社の産業医に相談したところ、心療内科で診てもらったらどうか?とアドバイスを受け、抵抗があったのですが診察を受けることとしました。

自律神経失調症と診断を受け、さすがの私もショックでしたね。

病名も分かり睡眠導入剤を処方され、ひとまずは眠れるようになったのですが、通院することの後ろめたさや恥ずかしさ、原因である企画部長がいる限り薬漬けの生活が続くことを思うと心がやすまらない日々。

長時間残業でうつ病になった同僚を身近に見ており、いったん心が折れると元には戻らないことは理解していましたが、まさか私がそのとば口に立っているとは信じられませんでしたよ。

その同僚は回復期にあり、午前中だけ出社し午後は休み勤務形態でしたが、薬の影響で机に突っ伏し仕事どころではありません。

病状が長引くと会社は粛々と解雇するための手順を踏んでいき後々、法的に問題になることはしないんだろうなと考えました。そんな悲観的なことを考えるようになったのも、メンタルのバランスが崩れていたからなのかもしれません。

メンタルが駄目になるかの単身赴任するか究極の選択

私は、企画部長の彼と袂を分かつことを考えました。

企画部の仕事には未練がありましたが、このままでは精神が病むのは目に見えています。

要は彼の影響下から逃げればいいんです。幸い、私が勤めていた会社は、自分で行先を見つけ先方の上司が受け入れを認めた場合、比較的異動が簡単に行える企業文化がありました。

人事部が主導し配置転換を実施することはないので、話も早く纏まります。

私は統括部長会議のファシリテータとして、議事を進行しており全国の事業部の要員情報を把握できる立場にありましたから、どの事業部がどういう要員を欲していることも事前に分かっており功を奏しました。

会議を通じて事業部長とも自然と親しくなっていましたので、その中の一人に異動の相談をしました。私の上司とうまくいっていないことを正直に話し異動をお願いしたところ、快く了解をもらえることができました。

その事業部長から人事部に、企画部から要員を1名手配してもらえないか要望を出してもらい私が手を挙げる形です。

おかげで話も順調に進み、事業部長に相談してから2か月後には異動する運びとなりました。ただしこの異動は地方でしたので、単身赴任が条件となりました。

メンタルがやられるか単身赴任を取るか、選択にはちょっと迷ったのですが3年程度の単身赴任を我慢すれば、いずれ復活の日もあることで任地に赴くこととしました。

地方には地方の良さがあり、ストレスとなる原因も取り除かれ快適な独身生活を過ごすことができましてね。約2年で単身赴任は解消されたのですが、私は正直戻りたくありません。それほど地方は居心地が良かったってことです。

元の企画部に戻ったのですが、すでにパワハラ企画部長は部長を解任され異動しており、顔を合わせることもなくホッとしましたね。

誰かに否定されてもイジメられてもとにかく逃げの一手

ある人に否定されても、別の人に評価されれば、サラリーマン人生十分やっていけることを学びました。

人格を否定されても、別の人が見ればまた違った見方をするので、そんなに気にする必要はないと気づくことができましたね。しかしながら私の場合、企画部長の彼とその上司が密接な関係にあり、いい刑事と悪い刑事の役割で攻められると厄介なものであったこともまた事実。

この場合は、残念ながらただひたすら逃げるしかありません。

私の場合、異動がうまくいかなかった時は会社を辞めることも視野に入れていました。心に痛みを感じることは、自分を振り返る意味では貴重な経験です。

しかしその痛みが疵となり、ずっと残るようではトラウマとなってしまいますよね?

いったん心が折れれば、その回復には薬物治療と多大な時間を要します。薬の副作用も大きく、肉体的な健康も損なわれてしまいます。

会社は最後まで面倒を見てくれるわけもなく、自分で自分を守るしかありません。時には逃げることも選択肢として考えてください。パワハラを受ける当事者となった私は、そのように考える余裕もなく、藁をもすがる気持で事業部長に相談したのが本当のところなの。

逃げるって言葉が悪ければ、待避するためのセーフティネットを用意すると言い換えてもいいかもしれませんね。

ただ、いつまでも逃げていては自分を信じることができず弱気、弱気の人生を過ごすことになります。勇気をもって待避することができれば、いずれ暴風雨も止みそこから抜け出すことも可能。

時には人に頼ることも必要ですよ。

職場イジメの回避方法を異動して逃げた私が指南まとめ

万が一の場合に備えて別の収入源を確保しておきませんか?

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