残酷な日立製作所のケース!40歳になると例外なくリストラされる職場

リストラは仕事ができない会社員が受けるものだと思っていませんか?

私の場合、上司たちが繰り広げられている不正経理を親会社い内部告発したことが発端。

リストラを言い渡された時、もちろん抵抗してみましたが「飛ばされて冷遇されても文句は言うなよ?」と念押しされ、敗北感を味わったのを覚えています。

どこの会社も同じような恫喝が繰り広げられているようですね。

日立製作所系列からリストラされるまで完全に他人ごと

年齢は50歳、性別は男性、以前は日立製作所系列の電気制御機器開発設計担当。

私は、大学で電気工学を修得し卒業後、40歳になるまで日立製作所系列の電気機器メーカーで開発設計業務に従事。

私が人生で一番辛かったリストラ。

丁度39歳の時にリーマンショックが起こり、それまで上昇気流に合った会社の業績が一気に下落下降し1年後の2009年、40歳以上に対する早期希望退職制度が始まり私も40歳になったばかりで、いきなりリストラの対象になった時。

それまでも、22歳新卒で入社した新入社員の頃から、前の会社では、45歳以上の従業員を対象にしたリストラを何度も実施している会社で、先輩たちに対する会社のひどい仕打ちを目の当たりにしてきたので、いつかは自分にも来るとは覚悟していました。

やはり実際に自分がその境遇にならないと実際わからないもので、それまでリストラは他人事のように感じており、まさか自分自身40歳になって直ぐに、リストラ対象になるとは思ってもみません。

改めて振り返ってみれば何とかなるとか高を括っていましたし、甘かったと言えば甘かったですね。

当時の上長と何度も面談を繰り返し。

会社として今の私はまったく必要とされておらず、仮に今回の退職制度に応じなかった場合、今後の待遇は冷遇されることを通告されました。

その時の上長の目は、非常に冷酷で忘れられず人生最大で最悪の大きなショックを受け今でもトラウマとなっています。

私をリストラ面接をした上長が、何と前の会社の社長にまで出世するのですが、実はその後その上長が、前の会社として日立製作所系列の最後の社長となってしまうと言う現実が待っている訳です。

本当に世の中、何が起こるか分からないと悟った事例でした。

その後、私は18年間お世話になった会社を、いきなりリストラされて家族と共に路頭に迷う生活を約1年間、送ることになりますが色々苦労した上、何とか競合他社の開発設計業務に再就職出来ました。

その時に利用して有効だった転職支援会社はビズリーチ。

ここで詳細は省きますが、ビズリーチには大変いお世話になり良い会社に転職出来ました。

とても感謝しております。

日立製作所系列からリストラされ一時は自殺を考えた

私は新卒の22歳で入社して18年間、働き続けた日立製作所系列の電気機器メーカーで勤務。

家族もいるのに、そんなことはお構いなしでリストラ宣告。

当時は、自分の家族も子供たちがまだ小さく2006年に新築した住宅ローンもまだまだ残っていたので、妻と2人で今後どうしたらよいか本気で悩んで、双方の両親にも相談したりして、精神的にも追い詰められてパニック以外のなにものでもありません。

まるで昨日のことの様にはっきりと覚えていますが、あの苦しみは今も忘れはしません。

2009年リストラされた当時、お先が真っ暗で未来が見えず、いつも不満爆発や喧嘩ばかりで家族の雰囲気も険悪かつ最悪な時で、子供もまだ小さくて泣き出したりして、人生最低の地獄絵図。

まあ今だから言えますが、電車や車に飛び込むか、首でも釣って自殺したいと思い詰めていたのも事実。

もう本当にどうして良いのか分からないまま、定年までずっと働くと思っていた職場から早期希望退職勧告されて退職となった私の40歳。

リストラされた後、心配だったのは、いつ再就職出来るのか?とそれまでの間の収入やローン返済はどうしたら良いのか?でした。

幸い会社都合の退職だったので、失業手当も直ぐに支給され給与と殆ど変わらない金額が支給されました。

しかし、そんなに長くはもらえない上に、自分や妻の両親、親戚、兄弟にも合わせる顔がなく、早く就職先を見つけなければならないと焦っていた時期で、退職後、直ぐにハローワークやリクルート等の転職サイトに登録をして、転職活動を開始。

とにかく、いつまでこの不安定な生活が続くのか、先が見えないことが心配でしたね。

日立製作所系列からリストラされ転職が空回りし苦悩

リストラされた後、いくつかの再就職支援会社やハローワークに登録して、転職活動を開始。

しかし、世間でも言われている様に、40歳を過ぎるとなかなか内定がもらえないのは本当でした。

最初の頃は、何社受けても全然ダメ。

失業保険や両親の支援で何とか最低限の生活は維持できましたが、そんなことをいつまでも続けるわけにもいかず、どんなことをしても再就職先を見つけなければ焦りばかりが募って、転職活動も完全に空回り。

今にして思えば、もともと電気機器の開発設計だったので、その経験を生かして最初から同業他社にしておけば良かったのにパニくってて正常な判断ができなかった。

リストラされた後、生活費を節約するため自分の実家の近くに帰省して転職活動。

自動車関連は未経験だったのに転職先が自動車関連に偏ってしまい、それも悪かったのかなと反省しています。

特に、40歳過ぎた転職者に対して、企業側からマネージメント候補を求めていることが明確にわかりました。

私はあくまでエンジニアとして働きたかったのに、その辺も双方で食い違いがあったのだと思います。

何社落ちても、あきらめずに応募し続けて、もう何社目か覚えてない程、面接を受けた結果、ビズリーチを同じ転職活動していた仲間から教わり、登録後、リストラを受けた会社の競合会社を紹介されて内定が決定。

現在に至る形です。

ビスリーチからのアドバイスや方向性を明確にした後、就職先が決まるまでの時間は意外に早かったですね。

今にして思うと、転職もやり方や進め方があり、その作戦次第なんですね。

日立製作所系列からリストラされ度胸と精神力が付いた

リストラされて悪かったのは、妻や子供たちと言った家族や双方の両親や親戚や身内に対して、自分の転職活動が上手く行かない不満を感情的になって、ぶつけてしまったことです。

リストラと転職の厳しさを味わいながら、まだまだ生きている今の自分にとっては、あの時の経験は本当に恥ずかしい限りで、素直に謝り深く後悔し反省しております。

どうして今の裕福な日本には、電車に飛び込んだりする人がいるのか、自分自身がリストラを味わってみて初めて理解できるようになりました。

逆に、リストラされて良かったこととしては、いつでも死ねる状況に追い込まれた時に対処出来る精神力の強さを磨いたことと、失敗ばかり続いたけど、もう失敗を恐れなくなったことです。

こうなったら、何回倒れても倒れても何度でも立ち上がって、本当に嫌でも死ぬ日が来るその時まで、とことん自分の強い意志で生き抜いてみようと決意した41歳でした。

そして、私は転職仲間から教わったビズリーチの紹介で、運よくライバルメーカの開発職に就職出来ました。

後日談です。

私がリストラされた日立製作所系列会社は、ドイツの会社に買収され長期海外勤務が出来ない人や英語が話せない人は全員解雇。

皮肉なもんですよね?

人数も半分以下になっも相変わらず40歳以上の社員をリストラばかりしているようで、最初に入社した私も馬鹿でしたが早い段階で気付けて辞めて正解でした。

最初に会社を決める時は、よく考えてから就職しないと大変であることを、つくづく実体験。

まだまだ生きている限り、人生ネバーギブアップですね。

40歳になると例外なくリストラされる日立製作所まとめ

最後に要点をまとめておきます。

  • リスト1
  • リスト2
  • リスト3
  • リスト4
  • リスト5
リストラされて負け組だった中年男が稼ぐ仕組みをつくって人生逆転した方法

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