義理の母親や父親に介入されることほど、嫌な思いはないですよね?

対等な立場じゃない奴らからの口撃は、本当にウザいしもう時代が違うのだから、あれやこれや言われる筋合いはない!

「 俺たち( 私たち )の時代はこうだったとか、ああだったとか 」が奴らの常套句。

マヤさん42歳(仮名)が人生で一番辛かった事件は、娘の不登校と姑の口撃だという。

42歳の専業主婦が人生で一番辛かった出来事

マヤさんは専業主婦で、同じ年のご主人と小学生の娘が1人います。数年前まではフルタイムで働きに出ていましたが、娘のあることがきっかけで在宅で仕事をするようになったという。そのあることが、彼女の辛かった経験にも関係しています。

私の体験した人生で辛かった経験は、娘の不登校がきっかけでした。小学校2年生の後半に行きづらくなり、それまでフルタイムで働いていた仕事を辞め、娘と向き合う生活が始まりました。

こうして書くと、娘の不登校そのものが辛かったように思いますが、本当の辛さは不登校そのものにあったわけではありません。

当時私を一番悩ませ苦しめたのは、娘の不登校に対する義母からの様々な働きかけでした。

フルタイムで働く私たち夫婦を助けるように、義母は本当に尽くしてくれました。保育園から熱があると連絡が来れば車で駆けつけてくれたり、忙しい私に代わって夕飯を用意して持って来てくれたり、頭が上がらないことはたくさんありました。

でも一方で、休日の予定を先に決めていたり、私に断りもなく娘の習い事を決めようとしたり、義母には少しマイペースで強引な所。

そりゃ正直、ムカつきましたよ。

助けてもらっている手前、思うことがあっても強く言えないのが悔しかったですね。

ふとしたことで学校に行きづらくなってしまった娘の姿を見て、義母は私に言いました。「 私にも責任があるかもしれないけれど、お母さんがもっと頑張らなきゃ!愛情が足りないと思うの。 」そう面と向かって言われました。

確かに仕事が忙しく、娘とじっくり向き合う時間は取れていませんでした。習い事に関して消極的な姿勢も義母は思うところがあったのでしょう。しかし娘の不登校の原因が、あたかも私にあるような言い方に私はひどく傷つきました。

娘の不登校で感じた彼女の痛みとは?

何をもって義母が、私に子供に対する愛情が足りないと思ったのか色々と考えました。

  • 私も仕事をしていたけれど、子供が帰ってくる時間には家にいるようにしていた。
  • 子供には習い事を通して、いろんな体験を積ませようとしていた。
  • 学校のPTAの行事にも積極的に参加して、意見を言ったりもしてきた。

義母は、子育てで自分がどれだけ子供のために尽くしてきたかを、切々と私に話して聞かせました。「 でも私は、学校の行事に参加したり、一部のお母さん以外と親しくするのが苦手なんです…。 」ということを言うと、「 そこは子供のために努力しないと! 」という返答が返ってきました。

「 まずは子供と一緒にいろんなイベントに参加してみては? 」と事あるごとに頼んでもいないのに、近郊で行われている様々な行事のパンフレットを持ってくるようになりました。

私なりに仕事と育児の両立を頑張って、こなしてきたつもりです。

不登校に関する見聞も広げ、娘の性格を考慮しながら様々な働きかけも行っていました。学校の先生と相談しながら対策を練ったり、不登校の親が集まる会に参加したりもしました。不登校に関する講演会を傾聴したり、実践に役立つ様々なアドバイスを習得することができました。

そのすべてを義母によって否定されたような気がして、また好きだった仕事を辞めた辛さも重なり、私の気持ちはどん底まで追い詰められてしまいました。

また義母にとっては、自分の経験をもとに、母子共に立ち直るための支援をしたいと燃えており、その温度差がたまらなく私たち親子のペースを余計に乱していきました。

姑との対立を解消するために彼女が取った行動

義母の熱量に比例して、私の気持ちが冷めて行きました。

どんどん義母と距離を置きたいと思う気持ちが増していきました。義母の家は私たちの家から歩いて10分ほどのところにあります。逃げようにも逃げられない距離にいたのです。

付け加えると、義母は長く続いていた義父との冷戦関係を断ち切るために、熟年離婚をしていました。

家族の中の自分の場所を手放したことで、息子家族の役に立ちたいと思う気持ちが余計増していたのだと思います。

離れた場所に引っ越しをする方法もありますが、不登校に対する理解が深い今の学校を転校することは避けたいことでした。今まで散々お世話になっておいて、義母に対してこのような感情を抱いてしまう自分にも後ろめたさは感じました。

「 薄情な嫁なんだろうか? 」「 自分がわがままなのだろうか? 」主人にも相談することができず、私は思いのたけを複数の女友達に話しました。すると一様に返ってきた言葉が、

  • それはお義母さんが、入り込みすぎ。
  • 明らかにパーソナルスペースをはみ出しているでしょ?
  • 自分の子育てを正当化しすぎ!

という意見の数々です。

多少は私の側に立った言葉ではあることは分かっていましたが、それでもとても救われた気持ちになりました。薄情な嫁なんかじゃない。抱いて当然の感情なんだ!と思えたことが、とても大きかったです。

私はそれまでにも増して、自分が信じてきた道を歩んでいこうと思いました。仕事を辞めたことを無駄にしないように、そして娘が不登校になった意味を見出せるように、自分たちなりのやり方で進んで行こうと決意しました。

相変わらず義母は何かと関わってきては、いろんな提案をしてきました。全く耳を傾けないことは失礼なので、丁重にお礼を言った後、義母が持ってきた全ての書類をシュレッダーにかけたりしていました。そのような行為ですっと心の中の苛立ちが消え、気持ちを切り替えることができたのです。

彼女が姑との対立を克服できたその訳とは?

その後も義母との小競り合いは止まりませんでした。「 学校に行けないのであれば、何か習い事を! 」と、なんとしてでも娘を誘おうとする義母を制することにも骨を折りました。これに関しては娘がはっきり「 おばあちゃん、私、今はそういう気分じゃないんだよ。 」と自分の気持ちを表明してくれました。

学校とのコミュニケーションは多く取っていましたが、相変わらずPTAの役員をしない私に義母は苦言を呈しました。私はがんとして、「 自分はそういうタチじゃないから 」という意思表示を貫きました。

幾度となくアポなしでやってくる義母に対して、居留守を使うことも増えました。出かける時は携帯電話をわざと家に置いていき、電話やメールにいちいち返信しないように努めました。住む環境を変えることができない現状で、精一杯出来る抵抗でした。

投げかけても反応のない私達親子に対して、そのうち義母の熱も冷めていきました。

「 暖簾に腕押し 」という心境になったのだと思います。張り合いをなくしたのか、少しずつ私たち家族に関わろうとする頻度が少なくなりました。

全くアクションがなくなったわけではありませんが、頻度が減っていくと共に私の痛んだ心も回復してきました。そして母親の心の回復と共に、娘の不登校も克服していきました。今では一人で登校して最後まで授業を受けるまでに戻ってきました。義母という重しが取れて、誠心誠意娘と向き合うことができた結果だと思っています。

あの時、いろんな人に助けを求めて、意見を聞かせてもらったことは私にとって大きな転機になりました。自分は間違っていないと肩を叩いてくれる友は、本当にかけがえのない存在です。

不登校は、子供はもちろん親が抱える傷も大きいものです。遠慮なくSOSを発することがとても大切で、助けてほしい人に追い打ちをかけるような言動を行う人からは、すぐさま離れることが重要だと体感した出来事でした。

娘の不登校そして義母の介入!人生で一番辛かったことまとめ

では、最後に要点をまとめておきますので参考にしてください。

 娘の不登校がキッカケで、義母の口撃が始まる
 義母が燃えるほど、母子ともにヤル気が失せる反比例
 義母対策は、距離を置くこと
 徹底して居留守を使う、携帯電話に出ない
 ママ友や親友に相談できたことで、心から救われた
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